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2013年11月8日

映画スティーブ・ジョブズはウォズの回路基板の話で終わってもよかった。

アップル創業前、ウォズの作った回路基板を見て「これは世界を変える」と興奮して走り抜ける様を、映画「スティーブ・ジョブズ」でも観客はあぜんと見送ることになったわけですが、それはジョブズの先見の明という形で何ともアバウトな感じで描かれてた。見る人が見ればすごいものだったんだね、と。


そりゃあ基板のどこがすごいのかなんて話をしてたら2時間やそこらじゃ足りないんでしょう。でも、ジョブズが何に目を輝かせていたのか、そこの興奮をほとんど共有できないまま物語が進んでいってしまったことに、ちょっと寂しさを覚えたのでした。

でもたぶん、「基板のすごさ」ってところでも十分コンテンツになり得るんですよね。当時ウォズが作った世界を変えるそれが、今までと何が違っていて、ジョブズの世界観の何に結びついたのか。そこだけにクローズアップした映画にしても面白かったんじゃないかな。

プロの技、エンジニアリングの凄さっていうのは、プロフェッショナルの世界の中にあると当たり前になってしまうのだけれど、シロートがイノセントに、ひょいと覗いてみると、見方によってはすげえ面白いものだったりすることは、「ほこたて」とか「シルシルミシル」みたいな味付けのうまい番組が実証しているから、コンテンツ王ハリウッドが手がけたらどんなものになるか・・・って考えると夢が膨らみます。


すごい技術を持った人は、周りにゴロゴロいます。実は。でもそれを「すごい」とわかるためには、ある程度技術に通じておく必要がある。で、技術に通じてしまうと、それは当たり前になってしまう。

細々と活動している文化芸能、工芸や、普段何気なく目にしているものにもプロフェッショナルは隠れている。さえない隣の家のおじさんだって、実は物凄いスペシャリストなのかもしれないのですよ。

特にこの国にはスペシャリストがたくさんいます。
今まさに必要なのは、徹底的に自由な発想で、それで何が可能になるのか想像すること。ジャンルとか業界とか前例とか全部無視してね。

個人レベルでいくらでも情報発信ができる今、躊躇せずに自分の能力を発信していくことは、そうしたプロフェッショナルの技を融合させ、新しい価値を生み出す可能性を広げるということ。

でも、技術のある人ほど、「俺はそんなちゃらちゃらしたことはしない」っていう傾向がある。せっかくの技術が埋もれてしまう傾向があるように思います。
それを何とかしたい。何とかしたいのだ。

何とかしようと今、もがいております。