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2013年8月28日

第1世代のiPod shuffleが押入れから出てきた話



なんでもできる機械が身の回りに増えてきて、わぁすげぇ。これで俺もやりたことが何でもできるようになれるかも。などと思って、こぞって機械を手に入れている昨今。

でもどうやらその機械は、使う人が何をしたいのか、ということがはっきりしていないと、はっきりしていない分だけ価値がなくなっていく仕様だったようで。

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その日も朝から気温がぐんぐん上がって、日中の暑さを想像しながら憂鬱な気分だったけれど、押し入れから出てきたモノがちょっとだけ気分を変えてくれた。

iPod shuffleの第1世代モデルだ。うわぁ懐かしい。
2005年の年初に登場したこのiPodは当時、「偶然に任せよう」みたいなコピーとともに発表され、その手頃な値段とコンセプトがウケて大ヒットしたプロダクトだ。

筐体はライター型の白いプラスチック。先っちょがキャップになっていて、取るとUSBが付いている。これを直接PCに繋げてiTunesで同期するわけだ。

8年も前のものだが、今でもちゃんと動作した。

シリアル番号消す意味あるのか。ないのか。



改めて思うが、こいつは「柔よく剛を制す」プロダクトだ。
液晶画面を持たず、再生と停止、音量操作と曲の頭出しという最低限の機能に、「シャッフル機能」を添えただけの、一見頼りないことこの上ない代物。

しかし、シャッフルを「偶然」と言い換えたことで、魔法のような魅力を放つことになった。
選択や判断を必要とせず、ボタンを押すだけで、あとは機械に任せればいい、という安心。

これは、選択の負荷を減らす、という思想価値の、
絶対的と思われていた物理価値に対する勝利である。

また、このコンセプトに対する揺るぎない支持は、
任意の音楽を選ぶ、という行為が、ユーザーにとってそれほど重要なことではなかった、ということの証明でもある。


2013年。
スマホだSNSだと、世の中は随分と選択肢を迫るものばかりが増えた気がする。
ゆえに、「これがいいと思うよ」という誰かの一押しが、たまらなく甘美なものに思えるのだ。「占い」とか「お告げ」みたいなものが、今も昔も有難がられるのは、人間が本来的に選択が嫌いな動物だからなのではないか。
そんな風に思うと、世の中「委ねる快感」というのを再認識して、もうちょっと「楽ちん」なサービスが増えても良いのではと思う。そういう意味でGunosyは今後が物凄い楽しみ。


巷で流行りのビッグデータと呼ばれる得体の知れないものに、人を幸せにする使命があるとしたらそれは、たぶん、人の選択判断の負荷を減らすこと・・・なのではないか?
人類がせっせと集めた巨大なデータは、ひょっとしたら未来の「お告げ」に変換されるのかもしれない。


ちなみに何年かぶりに動作したiPod shuffleが選んだ最初の1曲めは、
VAN HALENの"Eruption"であった。うわぁたまんない!